名古屋芸術大学のサウンドメディア・コンポジションコース主催により2007年に始まった「トーンマイスターワークショップ」。以降、3年ごとに実施され今回で8回目となるこの催しは、同大学の学生のみならず、クラシック録音に興味のあるエンジニアや音楽制作に携わる一般の人にも開かれた公開講座です。
ドイツ・ベルリンより特別客員教授として招かれたのはトーンマイスターのフローリアン・B・シュミット氏。2019年のギター・デュオ、2022年のピアノ・ソロに続いて3回目となるシュミット氏による今年のワークショップは、「名古屋芸術大学ウインドオーケストラ」による吹奏楽という大編成の録音にチャレンジ。「どう準備し、どのような考えで録音すべきか」が大事と説くシュミット氏はこの大規模なセッション・レコーディングを題材に、どんな学びを提供してくれるでしょうか。
なお、今回も前回と同じく、Apple Musicなどでの配信が決定しており、2026年の初夏には作品としてリリースされる予定です。
目次
- クリエイターを輩出する「サウンドメディア・コンポジションコース」
- 「特別講義」と「マイクセッティング実習」
- 吹奏楽のセッション・レコーディング
- 編集・ミックス
- ワークショップをサポートしたRMEのデバイス
- Genelecスピーカーの印象
- フローリアン・B・シュミット氏 インタビュー
- シュミット氏が伝えたかったこと
クリエイターを輩出する「サウンドメディア・コンポジションコース」
北名古屋市にある名古屋芸術大学は、1970年に創立された芸術系総合大学。芸術学部と教育学部の2学部を擁し、音楽や舞台芸術、美術、デザイン、芸術教養、教育・保育など幅広い領域での専門教育が行われている。
音楽領域には、世界レベルの音楽家養成に特化したプロフェッショナルアーティストコースや、声楽・鍵盤楽器・弦楽器・ウインドアカデミーの各コースのほか、ポップス・ロック&パフォーマンス、声優アクティングコースなど多彩なコースが用意されているのも同大学の特徴だ。
ワークショップを主催する同大学芸術学部の「サウンドメディア・コンポジションコース」は、デジタル技術や映像メディアとのコラボレーションなどを通じて新たな発想による音楽教育を展開。幅広いジャンルの音楽表現を通して音楽制作やレコーディング、PAについて学習する。音楽性・芸術性に優れた音を見極める能力を養い、多彩な分野で活躍するクリエイターやアーティスティックな発想を持ったエンジニアなどの人材を育成しているそう。同コースで教鞭を執る長江和哉氏は、その目的や特徴についてこう説明する。
「レコーディング・エンジニアやPAのエンジニアを目指す人も、作曲を学ぶと、コード進行とメロディとオブリガートの完結など曲の構造がよく理解でき、録音やミキシングもより深く行えます。また、作曲家も、いまや譜面を書いて終わりということはありません。トラックを作ったり、ステムを書き出したりといったスキルや、録音やミキシングの技術を身に付けておく必要もあります。作曲・録音・音響という3つの分野を繋げて学べるのが当コースの特徴です」
卒業生の主な就職先としては、放送局やその関連会社、レコーディング・スタジオ、ゲーム会社などのほか、PA/SR分野やライブ配信の制作会社など多岐にわたっているという。ここから巣立ち、録音や音響にまつわる様々なシーンで活躍するOB・OGたちは、こうしたワークショップのサポートにも協力しているそうで、学生たちにとってはそうした先輩の声を聴けるのも同コースならではのメリットだろう。
「トーンマイスターワークショップ2025」


さて、今回の公開講座「トーンマイスターワークショップ2025」は下記の日程で、同大学の東キャンパス 3号館の音楽講堂ホール、2号館のロビーとコントロールルームを舞台に開催。2号館のロビーではステレオ用の録音が、二つのコントロールルームでは3Dオーディオ(Dolby Atmosと360 Reality Audio)の録音が同時に行われた。
10月9日(木) 15:00〜18:00 「特別講義:芸術的な音楽録音とは?」「マイクセッティング実習」
10月11日(土) 10:00〜18:00 「吹奏楽のセッション・レコーディング 1」
10月12日(日) 10:00〜18:00 「吹奏楽のセッション・レコーディング 2」
2007年から始まり、すでに20年近い歴史を持つこのワークショップ。前回2022年は名古屋芸術大学の大学院生が演奏するピアノ・ソロを録音・作品化し、同大学のレーベル「NUA Records」を通じてApple MusicやSpotifyをはじめとする配信サービスでリリースするという取り組みが行われた。
「制作した音源が世界中の人たちに聴いてもらえるわけですから、学生たちのモチベーションも上がります。これは大変に良いことで、今回も同様の流れとなります。これまで、録音の対象は小編成のものでしたが、今回は名古屋芸術大学ウインドオーケストラによる吹奏楽ということで、多くの学生が関わることになりました。大編成の録音は、録る側にも良い機会になりますし、演奏者にとっても録音を体験することで得るものがあるはずです。今回も多くの方々のご協力により、このようなワークショップを開催でき、大変嬉しく思っています」(長江氏)
「名古屋芸術大学ウインドオーケストラ」は同大学音楽学部の創立時に発足した吹奏楽団で、1982年からは定期演奏会を毎年開催するなど国内外で活発な活動を行っている。今回のワークショップでは、指導を担当する遠藤宏幸氏、竹内雅一氏、八木澤教司氏とともに今年9月の定期演奏会で取り組んだ曲を含む3曲を演奏した。
録音の舞台は同大学の東キャンパス内にある3号館のホール。そして、隣接する2号館の1階ロビーにスピーカーやスクリーン、ディスプレイを設置。ここでは、ホールのステージ映像やDAWの画面などをリアルタイムに映しながらプロダクションが行われた。
「特別講義」と「マイクセッティング実習」

ワークショップの初日は、フリーランスのトーンマイスターとして20年以上の経験を持つシュミット氏による特別講義とマイクセッティングの実習。トーンマイスターとは録音技術と音楽的教養を兼ね備えたエンジニア・プロデューサーのこと。特別講義で語られたのは「トーンマイスターとしての生活、二つの視点」と「録音についての深い考察」という話題だった。
「トーンマイスターとしての生活、二つの視点」
「これは学生の皆さんもいずれ経験することになるかと思いますが、ある日突然、電話がかかってきて、まったく知らない場所でのレコーディング依頼を受けることがあります」と話し始めたシュミット氏。現場に何の機材もなくマイクやケーブルなどの録音に必要なものをすべて持っていかなければならなかったケース、設備は十分に整っているもののプログラムが詰まっていて準備する時間が十分に取れないケースという二つの対照的な現場においていかに対処すべきかといったトピックについて、実際に録音された音源とともに動画・写真をスクリーンに映しながら、それぞれのポイントを説明し、「異なるシチュエーションごとに解決法を見つけていく必要があります。とりわけ、クラシックの録音では、メインマイクの幅や高さ、その位置をどのように組織するかを見極めることが大変重要になります」と結論づけた。
「録音についての深い考察」
このテーマについてシュミット氏は「哲学」「芸術的な制作」「編集とミックス」という3つの重要な視点から講義を行った。ここではその抜粋をお届けしよう。

哲学
大原則として、音楽がどのように演奏されるかがとても重要です。リアルタイムに演奏される音楽には、演奏者と聴き手(聴衆)との間にコミュニケーション−−−相互作用が生まれます。つまり、演奏家のほうも、聴衆の反応を受け取って対応することになります。
実際のコンサートでは、感動的な場面が瞬時に起こり、次の瞬間にはもう消えてしまいます。そうしたスリルがとても大事な要素となります。
観客を前にしてリアルタイムに演奏される音楽には相互作用や息吹のような魔法がありますが、セッション録音ではそれらが決定的に欠けています。それを補うために取り得るアプローチとして私が考えた言葉が「Sensuality of Sound(音の美しさ、官能性)」です。聴き手の心に触れるような音……これを実現するにはどうすればよいでしょうか。ここでは3つの方法を紹介します。
- 全指向性ABメインマイク(ミックスの80%~95%)
- スポットマイクのタイムアライメント
- リバーブの設定(初期反射音:Early Reflection、後部残響音:Late Reverberation)
まず重要なのはABメインマイクです。録音する会場の特性が複雑でない限り、無指向性のABメインマイクを80%〜95%用いることにしています。そして、真に優れたADコンバーターを使うことにより、音は素晴らしいクオリティを維持することが可能です。
また、メインマイクとスポットマイクなど、異なる位置にマイクを配置して録音すると、先に到達するスポットマイクの音とメインマイクに時差が起こり、そのままだとコムフィルタリングが起こり、せっかくの良い音色が相応しくないものになってしまいます。そこで、メインマイクのタイミングでスポットマイクの音を合成できるよう、ディレイ補正することが大事です。
そして、ミックスで加える調味料として欠かせないのがリバーブです。私が気に入っているBricasti Design M7は、初期反射音と後部残響音を一つのツマミで切り替えることができます。これを今回の録音セッションでも使用します。
芸術的な制作(Artistic Producing)
先ほどもお話ししたように、スタジオでの録音はライブ・レコーディングとは違い、聴き手の存在が欠けていますので、どこかで妥協点を見出す必要があります。録音する側の仕事は、ただ録音ボタンを押すことではなく、演奏家たちが最大限に良い演奏をするためにサポートしなければなりません。録音エンジニアとしてもう一つ必要なことは時間調整です。大学の中では好きなだけ時間を使うことができるかもしれませんが、実際の仕事では決められた時間の中で作業することが求められます。
良い録音のためには良いバランスをとることも大切です。最初の20小節をいかに精巧に録ったとしても、残りの部分がうまくいっていなければ意味がありません。全体のバランスを考える必要があります。また、楽器ごとの特性に留意することも大事で、例えば弦楽器なら高い音程を何度も弾き続けることができますが、トランペットは高い音程を何回も吹くことはできません。スコアをよく読んで、重要なパッセージをしっかりと把握して録音を進めたいところです。

編集とミックス
続く「編集とミックス」では、シュミット氏がこれまでの経験を踏まえ、それぞれの考え方や要点についてレクチャー。特に、編集作業で大事な指標となる録音時におけるスコアへのリマークスの仕方についてのコメントは、受講者にとって非常に有意義だったことだろう。また、こうした編集作業はDAWで行うことを前提に解説されたが、長江氏からは1970年代にアナログテープをじかにハサミでカットした様子を示す貴重な資料動画も紹介された。
その後、各楽器を狙うマイクをシュミット氏と長江氏が相談しながら決めていくと、いよいよマイキングの実践がスタート。メインマイクやスポットマイクを設置するトーンマイスターの姿に受講者たちは興味津々。一緒に参加しながら学んでいった。


マイキングの肝であるメインマイクはステージの前方に設置。指揮台背後のアレイにはL-C-RとトップレイヤーのL-Rの5本。両脇にLL-RR(アウトリガー)、客席に向けた二つのスタンドに高/低2本の計11本。Dolby Atmosでは各マイクが、L-C-R、Ltf-Rtf、Lss-Rss、Lsr-Rsr、Ltr-Rtrにアサインされている。



スポットマイクなどと合わせ、約30ch分のマイクはステージ上で3台のRME 12MicでADされ、2号館ロビーまで棟内に敷設されたMADI回線で伝送。RME MADIface XTを経由してDAWに届き、3Dオーディオでのミックスを行う各スタジオにもMADIで伝送される。DAWはいずれもPro Toolsで行われ、モニタースピーカーはロビー(ステレオ)がGenelec 1238、Dolby AtmosのCR1と360 Reality AudioのCR2がGenelec 8330によるイマーシブ環境が組まれている。なお、CR1への送信はRMEのデジタル・リアルタイム・ミキサー・アプリ「TotalMix FX」で分岐されている。


吹奏楽のセッション・レコーディング

2日目からは「吹奏楽のセッション・レコーディング」がスタート。名古屋芸術大学ウインドオーケストラが演奏するのは、「我がゆく道を我は行くなり」(指揮:遠藤宏幸氏)、「散歩、日傘をさす女性 ― クロード・モネに寄せて」(指揮:八木澤教司氏)、「Arioso Cantabile(アリオーソ・カンタービレ) / Jan van der Roost」(指揮:竹内雅一氏)の3曲で、これらを2日に分けて録音した。
マイクチェックを経てリハーサルが始まると、シュミット氏はロビーのモニターを聴きながら打楽器を含む各楽器のチューニングも冷静に見極めつつ、メインマイクやスポットマイクの位置を修正。ホールのある3号館と2号館のロビーを行き来しながら準備を整えていく。レコーディングが始まると、テイクごとにその善し悪しの判断を分かりやすく解説。演奏者にはイントネーション(音程)に気を付ける箇所を促したり、パートごとに「もっと美しさを楽しんで」と励ましたりしながらOKテイクを積み上げていく。そこでは「音楽としていかに美しいか」が基準となっているようだ。テイクを巡る演者とのやりとりは指揮者とトークバックで行われるが、収録側の要望はシュミット氏のアドバイスを受けながら、ディレクターを担当した学生も行った。そして、この日の録音が終わると長江氏は演奏者やスタッフらを前に次のように語りかけた。
「ロビーでモニターしていて、皆さんの演奏する喜び、ワクワクした感じが伝わってきました。それをどう保存し、リスナーに伝えるかが録音の一番大事なところ。お互いに協力しあって、そういう瞬間を作っていきましょう」
録音スタッフの一人は、「初日にフローリアンさんがおっしゃっていた“スリル”を感じられ、またそれを保存することができたと思います。とても良い経験になりました」とコメント。シュミット氏や長江氏の教えは確実に伝わっているようだ。
編集・ミックス

レコーディングが終わると、「我がゆく道を我は行くなり」の編集・ミックスに関するレクチャーに移り、クラシック作品ならではの編集作業のノウハウがいくつか紹介された。その中でも、各テイクをどう繋げるかは大きなポイントだが、そこで重要な役割を果たすのが、録音時にスコアに記されるリマークスだ。フレーズごとに細かく評価された書き込みをもとにOKテイクを選んで繋いでいく地道な作業の進め方をシュミット氏のリマークスを参考にしながら学んでいく。また、多用されるクロスフェードの方法は、波形を見ながらシュミット氏がそのポイントを丁寧に解説した。1つのアルバムに、100箇所から多い時は1,000箇所の繋ぎがあるとも言われるクラシック音楽録音。参加者はその難しさと面白さを同時に体験できたのではないだろうか。ちなみに、DAWでの編集は主にPro Toolsで行われたが、シュミット氏が「音楽の流れが良くなる」と愛用するMERGING TECHNOLOGIES Pyramixでもクロスフェードなど編集の実演が行われた。

その後はCR1に移動して、録音した楽曲のDolby Atmosミックスを試聴。ステレオ・バージョンとは異なる、空間的な音の広がりを体験した。ここでシュミット氏は、「イマーシブ・オーディオは、指揮者の位置で聴かせるエキサイティングなミックスも可能ですが、音楽の美学を保つため、まずはステレオミックスをしっかりと作ることが大事です。ステレオと比べて、3Dがまったく違う世界になってしまうことがないようにすべきです」と語り、「ステレオのミックスでも言えることですが、まずはメインのL-Rをよく聴いて各楽器の定位を確認すること。その上で、必要な分だけスポットマイクを上げていくようにします」と、その手順の大事さを説いた。
ワークショップをサポートしたRMEのデバイス

このワークショップでは当初からドイツのプロ音響ブランドRMEのマイクプリやインターフェースなどが使用されている。長江氏はRMEとの出会いを振り返り、次のように語ってくれた。
「2012年にベルリンに滞在した際、フローリアンがRMEのMicstasyやFireface UFXを使ってPyramixで録音するというとてもスマートなシステムを組んでいたことに感銘を受けました。そして、その年の9月には私も2台のRME MicstasyとHDSPe MADI FXを購入しました。ところが、当時のMacBook Proでうまく動かなくて困ったところ、ドイツの開発者がMacBookのThunderboltカードにまつわる問題を解決してくれました。それは3サンプル余分にバッファーを取るということで、私のMacBook ProのThunderboltのリビジョンが欧州で流通しているものと違っていることからでしたが、このような開発者とのやりとりを経てRME製品と出会えたことを嬉しく思っています」
RMEの音質面や操作性についての印象は?
「例えばマイクプリではMicstasyとOctaMic XTC、そして新しい12Micを同じマイクで聴き比べてみましたが、新しいモデルは現代的な音で、より深い音色があるというか…。開発者のマックス・ホルトマンさんによれば、次の10年を見据えた音作りをしているとのことでした。そして、今回のワークショップでも12Micを3台使用していますが、操作がすごく簡単なのも良いですね」
長江氏はまた、RMEのサポート体制についてもこう評価する。
「ドライバーソフトが長く更新され続けるなど、製品のサポートが充実しているのも良いですね。私が13年前に買ったHDSPe MADI FXがいまでも使えていますから。また、例えば1UのOctaMic XTCはコンパクトで大変性能の良いマイクプリだったものの、ファントム電源のオン・オフがすぐにできないのが難点でしたが、12Micではそうした声に応えて操作性を改良してくれました。RMEのそんな姿勢も気に入っています。今回のワークショップでは新しいリモートコントロール・ソフトウェアRME Connectorも使ってみましたが、反応がすごく良いですね。以前のモデルは一旦外れると再度設定し直さなければならなかったりしてややこしかったのですが、そうした課題もちゃんと改善されていました」
そして、シュミット氏と同じく長くRMEのユーザーであり続けている長江氏は、シュミット氏との対話から生まれたこんな言葉を紹介してくれた。
「フローリアンがかつて、どうしてRMEを使うのか、その理由を語ったのですが、僕もまったく同じことを感じていました。それは例えばヴァイオリンはケースから出せば、すぐに演奏できますよね。もちろん、チューニングは必要ですけども。彼も私も、録音機材もそうあってほしいと思っているんですが、RMEはまさにそう。繋いで電源を入れればもう録音の準備は整います。そして、そうして生まれた時間をミュージシャンとのコミュニケーションに充てることで、より良い録音が自然にできるようになりますね」
Genelecスピーカーの印象


ところで、同大学ではレコーディングスタジオと作曲のための演習室にもGenelecのスピーカーが導入されている。
「Genelecの8000シリーズは今年で20周年とのことですが、これまで世界中の多くの人たちがこのスピーカーで音を判断しています。私は学生たちに、ヘッドフォンでのモニターのみでなく、スピーカーでモニターできる環境を作ると、自分の音源の善し悪しが分かるようになると伝えています。スピーカーからの距離をとると高域が減衰しますが、ヘッドフォンはどんな帯域もはっきり聴こえてしまいます。その点、8000シリーズのツィーターの指向性が的確にコントロールされているので、それにより音量を上げすぎなくても、ミキシングに必要な情報が得られると思います」(長江氏)
フローリアン・B・シュミット氏 インタビュー
ではここで、トーンマイスターのフローリアン・B・シュミット氏へのインタビューをお届けしよう。

−−今回のワークショップは吹奏楽という大編成のレコーディングとなりました。
シュミット 実にチャレンジングな試みで、教育と実際の録音を一緒に行うのは大変ですが、こうしたレコーディングのプロセスがどのように行われるかを皆さんに学んでいただける良い機会だと思っています。プレイバックを聴くこのロビーという場所はスタジオとは違って空調ノイズもあり、理想的な環境ではありませんが(笑)、楽しく進められていますよ。
−−マイキングのポイントについて教えてください。吹奏楽では特別なコンセプトや手法を必要としますか。
シュミット その答はイエスでありノーでもあります。今回、普通のオーケストラのようにマイク・アレイを配置しましたが、その向きには注意が必要で、水平にするとブラスの音が多くなり、木管が聴こえにくくなります。そうすると、木管用のスポットマイクをたくさん用意しなければなりません。なるべくメインマイクで良い音を捉えたいので、吹奏楽には特別な微調整が必要となります。
−−メインマイクとスポットマイク、そのバランスの取り方に秘訣がありそうですね。やはりメインマイクの位置や立て方が大事なのでしょうか。
シュミット そうですね。まず、ホールごとに異なるメインマイクの設置に適した場所を見つけることが大事です。近付けすぎると1列目の楽器が目立ってしまうし、離しすぎると余分な反射が増えてしまう。そして、スポットマイクの設置と調整はその都度、必要に応じて行います。例えば音量がある程度大きなサックスはフルートほど必要ない場合もあるでしょう。すべての楽器に用意する必要はありません。
−−このホールの響きはどのように感じましたか。
シュミット 教育のための施設として大変良いホールだと思いました。私が学んだベルリン大学のホールを思い出させます。つまり、解決策を見つけるにはなかなか苦労するということです。今回、私はツリーの高さを少し下げることにしました。ベルリン・フィルハーモニーでは5 mで録りますが、ここでは290 cmとしました。その分、リバーブはこの素晴らしいBricasti DesignのM7で補っています。

−−RMEのプロダクトについてコメントをいただけますか。
シュミット 今回も12Micなどを使用していますが、私はRME製品の信頼性に満足しています。コンパクトなMADIface XTとはたくさんの旅を共にしています。使いやすさもRMEの良さですね。Micstasyは15年ほど使い続けていますが、RMEを介しMADIでネットワークされたレコーディング・システムに大変満足しています。私のように長く使っていると、些細な点での注文はありますが、基本的には本当にベリー・ハッピーです。RMEに依存していると言って過言ではない私から、あえて注意点を申し上げるなら、使用する際はその熱に気を付けていただきたいと思います。

−−ありがとうございます。では最後に、日本のクラシック録音に携わる人たちへのメッセージをお願いします。
シュミット 音だけでなく、音楽を聴くこと−−−これが良い録音のための最善の方法であり、そこが上手くいくと「センシュアリティ・オブ・サウンド:Sensuality of Sound 音の美しさ」を表現できます。

シュミット氏が伝えたかったこと
シュミット氏がすべての学生や一般参加の人たちへ伝えたかったこととは何だろう。ワークショップを終えた長江氏はこのように振り返ってくれた。
「エンジニアの役割として、テクニカルな部分は当然押さえていなければなりませんが、それだけじゃなく、演奏家から素晴らしい演奏をいかに引き出すかが肝心だというのが彼のメッセージだと思います。最後に自分が良いと思う音楽を聴いてみたいと言っていましたが、これが彼の本音なのでしょう。もちろん、それだけでは仕事が務まらない現実もありますが、少なくともミュージシャンたちが“この人に録ってもらって良かった”と思ってもらえるように仕事をすることが大切だということですね。つまり、何かに気付くと、それが良い録音に繋がるのであれば、すぐにステージに上がってマイクを調整したり、指揮者にトークバックで伝えたり……。今回の参加者はこのようなことを実際に見ることできっと何かを感じてくれたと信じています」
今回のワークショップに参加した学生の方からのコメントが得られたのでご紹介しよう。
「フローリアンさんの“より音楽的に行うには”というお話を伺い、新たな発見に気付かされました。どうすればより良いものができるのかを、深く考えることができました」(女性)
「フローリアンさんのご自身の音楽の美学に対する真摯な言葉に大変感銘を受けました。最初から最後まで、一貫した姿勢で作業されているのも印象的でした。参加して良かったです」(男性)
録音・編集・ミックスといったプロセスを経て音楽が感動を与えられるような深みを持ったものに変わっていく……。トーンマイスターによるプロフェッショナルな仕事の一端を体験した3日間。クラシック音楽の分野でこうした機会が得られるのは珍しく、すべての参加者にとって意義深いワークショップとなったはず。録音された音楽の芸術を巡ってシュミット氏や長江氏をはじめ、ワークショップに尽力した教育者たちからバトンを受け取ったクリエイターやエンジニアたちが、どんな作品で自らの手腕を発揮していくのか、いまから楽しみだ。
長江氏によると、来年はポップスをテーマとした特別講義の開催も予定しているとのこと。
「これからのエンジニアはステレオだけでなく3Dも、そして音楽ジャンルもクラシック音楽、ジャズからポップスまで様々なものに対応できなければならないと学生には伝えています。そのためにも、全米・全英のヒットチャートを毎週チェックすることを勧めています。世界の音楽をよく聴いて、幅広い音楽表現を学んでほしいですね。そして、アメリカもイギリスも、多くの楽曲がDolby Atmosでも聴けることは注目すべきでしょう。Pro ToolsがDolby Atmosだけでなく、360 Reality Audioにも対応するようになったのも、次の動きを予感させますね。私も常に新しい音楽にアンテナを張っています。学生たちと一緒に勉強できたら良いなと思っています」

遠藤宏幸氏 フローリアン・シュミット氏 竹内雅一氏 長江和哉氏 八木澤教司氏
名古屋芸術大学のウェブサイト内イベントページでも、「トーンマイスターワークショップ2025」のレポートやギャラリーを掲載しております。ぜひあわせてご覧ください。

フローリアン・ B・シュミット(名古屋芸術大学 特別客員教授 トーンマイスター)
Dipl.-Tonmeister, Guest Prof. Florian B. Schmidt
1968年ドイツ・カールスルーエ生まれ。1996年ベルリン芸術大学にてディプロム・トーンマイスターを取得。フリーランスのトーンマイスターとして20年以上の経験を持ち、特にドイツ公共ラジオ Deutschlandfunk Kulturのコンサート中継や、放送局と外部レーベルとのコ・プロダクションによる原盤制作のプロデューサーとして活躍している。2014年には、Aki Matusch氏と録音制作会社Pegasus Musikproduktionを共同設立し、Sony、Accentus、Harmonia Mundi Franceなどのレーベルの録音を担当している。これまでに、Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin、RIAS Kammerchor、Berliner Philharmoniker、Dresdner Kammerchor、Cappella Amsterdam、Gaechinger Cantoreyなどと、さまざまなジャンルや時代を網羅する録音作品を制作し、国内外で数々の賞を受賞している。また、2017年度 ベルリン芸術大学(UdK)トーンマイスターコースの講師として、UdKオーケストラのインターネットライブ中継のプロジェクトを指導している。



